駆逐艦 江風(カワカゼ) 遭難日誌(昭和18年8月)

昭和十八年八月六日(永久保存)

第二十四駆逐隊

昭和18年5月15日、私は佐世保第一海兵団より転勤を命ぜられ、駆遂艦『江風(かわかぜ)』の乗務員となる。約10日間の佐世保在泊を経て、5月27日丁度(ちょうど)海軍記念日の当日、なつかしの母港を後に○○前線へと出港したのである。

途中「愛国丸」「伊良湖」等を護衛し、約6昼夜の遠航も無事トラック島に入港した。

その後、南方各方面の前線基地へ輸送作戦に従事、その間、南方各方面では敵の反撃も活発となり、特にコロンバンガラ島では敵の大部隊が上陸したとの情報が入り、我が陸海軍の苦戦が続いているとの事であった。我が駆遂隊もこの方面への戦力増強のため陸軍及び武器弾薬等の輸送に参加することとなったのである。

丁度8月5日、その命令が下った我が『江風(かわかぜ)』は、「萩風(はぎかぜ)」「嵐(あらし)」「時雨(しぐれ)」の4隻で、在営ラバウル陸軍部隊を乗せる準備にかかった。陸軍は約千人程である。その日のうちに糧食、武器等を積込み、夜半(11時頃) ラバウルを出港した。目的地は今、戦雲急を告げるコロンバンガラ島及びベララベラ島である。でもこの方面には多くの輸送船が参加していたのであったが、途中敵の攻撃にあい、目的を達していないとのこと。止むなく我等(われら)駆遂艦を使ったとのことである。この作戦に参加できた我等駆逐隊は何と光栄であると喜び勇んだものである。

しかし、この方面の海域は、敵も多数の艦船部隊を送り込み、昼夜の別なく我に反攻の度を増し、上空を飛来(ひらい)する 航空機はほとんど敵機ばかりである。寸時のゆだんも許されない一大決戦場である。

明くれば昭和18年8月6日、この日は朝から小雨の 降って見張(みはり)のきかぬ、気持の悪い日であった。昼間はなんとか無事航行することができた。まだまだ目的地までは大分(だいぶ)遠い様である。いつしか日も沈み夕食も過ぎた。

その頃、我が部隊は丁度(ちょうど)コロンバンガラ島の近くベララベラ島の海峡を通過中との事。後(あと)数時間で目的地へ 到着とのことであった。あいかわらず小雨模様で視界 悪く見張(みは)りがきかない。

<駆逐艦『江風』の写真。(全長)111m、(全幅)10m>

4隻の艦(ふね)は「萩風(はぎかぜ)」を先頭に「嵐(あらし)」『江風(かわかぜ)』及び「時雨(しぐれ)」と単縦陣にて全速力、敵前を爆進していたのである。時に<午後>9時、突如1、2番艦の「萩風」「嵐」が一大轟音(ごうおん)と共に物凄い火煙に包まれ、艦影すら見えなくなった。飛行機の音も別に聞こえていない。遂に来るべき時がきたのである。正(まさ)に覚悟はできている。しかし突然の出来事である。見る見る中(うち)に付近一帯が火の海と化した。初めて見る火の海。

この時、見張員の1人が(自分も思わず叫んだ)「1、2番艦(かん)がやられた」と頓狂(とんきょう)な声で叫んだのである。同時に皆の眼がその方に向いた。その時は最早(もはや)2隻の影はなかった。正(まさ)しく轟沈(ごうちん)である。我が前方を行く2艦は今、早くも敵に沈められたのである。誠に寸時の出来事であった。我々は敵襲だという声に身も振い立ち、全身の血が逆流した思いであった。でも我々の戦闘準備は完璧である。

数分が過ぎた。とその時、艦橋(かんきょう)の見張員から「敵魚雷艇、右15度」と叫ぶ声が周囲の静けさを破り、ひびき渡った。と同時に我が足元で大爆発が起った。

アッ………と思ったと同時に火の玉のような物が頭上より降ってきた。アッ………イタイッ………と思わず叫んだ。と同時に機銃台の横に伏したのである。

敵魚雷艇より発射された魚雷が艦橋の下付近に命中したのである。この時初めて自分は火傷(やけど)をしていることに 気付いた。両手、頭、顔、背中等、数ヶ所痛みを感じた。気を取りもどし附近を見れば、そこら一帯何かの崩れ落ちた残ガイが散っている。実に物凄い光景である。艦は前部の方は何にも見えない。辺りは真暗(まっくら)である。側(そば)に居た機銃員の姿すら見えない。

すると、すぐうしろの方で誰かが「ヤラレタッ………」という声がした。田畑班長である。又(また)近くでも「痛いー」という二、三の声がした。機銃員である。この時、田畑班長が「皆(みな)こちらへ来い!」と叫んだ。自分も火傷(やけど)の痛さをこらえて、班長の側(そば)へ行った。班長は、みんな怪我(けが)はなかったかと聞いた。自分も重傷という程でもなかったが、兎(と)に角(かく)  負傷していることを告げた。側で二、三人の者も痛い痛いと言っている。班長も顔に二ヶ所、破片を受け顔一面、夜目にもそれとわかる程、黒いものが流れていた。物凄い血である。私はフト応急箱に包帯のあることに気付き、その置場に行ったが見当らない。物凄い残ガイばかりである。ようやく探し当てみんなに配ってやろうとしたが手がきかない。でも、やっとのことで取り出し、班長はじめみんなに配ってやった。

しかし、その間にも艦体は除々に沈んでいたのであった。早くしないと艦(ふね)と共に沈んでしまう。正(まさ)に死の寸前である。この時、班長が逸早(いちはや)くことの重大さを察してか、みんなに「オーイ、みんな右舷(うげん)に廻れ」と言った。そこへ行ってみると、そこは何にも落ちてなかった。みんな集まった。

その時、後部甲板でドブン、ドブンと人の飛び込む様な音がした。と同時に誰かが、艦が沈むぞと叫んだ。その時、班長が機銃台の下に積んでいた円材に気付いたのか「オーイみんな、この円材を海に投げ込め」と言った。でもみんな多少なりと怪我(けが)をしている者ばかりである。思うように体がきかない。でも今は、生命の危ない時である。苦痛をこらえみんなが円材を投げ込んだ。ほとんど投げ込んでしまった。その頃には、もう海水は上甲板まできていた。

この時、班長が大声でどなった。

「みんな早く飛び込め。……艦(ふね)が沈没してしまうぞ」と………。

みなは一斉(いっせい)に海中に飛び込んだ。そして円材につかまった。みんなは一生懸命泳いだ。と言うのは、艦が沈む時は巻込まれるからである。自分もそのことは平素より聞いていたので反対方向へ<艦から離れるように>夢中で泳いだ。

ものの2、300メートルも泳いだと思う頃である。艦尾の方が真黒い、まるで怪物の如く、我が頭上に見えてきた。艦(ふね)が今にも海中に沈せんとする断(だん)末間(まつま)の物凄(ものすご)い光景である。間(ま)もなく異様なる音と共に艦体は見えなくなってしまった。 この時………我が身は海中に引き込まれていくのに気付いた。アッ………うずに巻込まれたのである。夢中で力(ちから)いっぱい泳いだ。海中でもがいている身、息が苦しくなってきた。  アッ………最早(もはや)、これまでかと、とっさに思った。その時、急に目の前が明るくなった。息ができた。アッ………助かったのだ………と思った。

附近は重油で海面いっぱい真黒だ。遥(はる)か向うの方は一面の火の海。海面の重油に火がついて燃えているのだ。丁度(ちょうど)、側(そば)に板が浮いている。とっさにすがりついた。先程(さきほど)の物音は我が駆逐艦『江風』の最後の名残りを惜しむ、いともあわれなる沈没の叫びであったのだ。そして艦の沈む時、発する渦の中にいたことに気付いた自分は一生懸命もがいたのにもかかわらず、数分間を海中深く引き込まれたのである。まさに天運というか神助けというか奇蹟的に助かったのである。

近くでは遭難者が海面一杯に、黒いかたまりとなって三々五々、夜目にもはっきりと悲壮な面持ちで浮かんでいた。自分も先程まで生死の境をさまよった余りにも変わりし其の面影であったに違いないと思った。

その間にも遥か向うの方では、砲声が聞える。機銃弾が頭上を飛び交っている。艦影も見える。敵艦か味方の艦かわからない。友軍の「時雨(しぐれ)」か………はた又(また)、敵艦か……。恐らく友軍が健在で、敵艦と撃ち合っているのであろう。また、その向うでは、物凄い火達磨(ひだるま)となった艦が見える。でもまだ動いている。その上を弾丸が尾を引いて飛び交っていた。矢張(やは)り友軍の1隻であった。敵はその火の玉を目標に空中から、また水上艦艇から撃ち出す弾はものすごく、またきれいでもあった。数分が過ぎた、と急に辺りが暗くなった。先程(さきほど)の火達磨となっていた艦が海中に沈んだのである。砲声も消えた。でもまだ重油は燃えている。

すると、近くに艦の影が見えてきた。敵艦か、また味方か?………人声も聞えて来た。よーく見れば敵の駆逐艦である。私はとっさに、その反対方向へ一生懸命に泳いだ。海面一杯に泳いでいる陸海軍の兵隊を引き揚げているのが見えた。私はつかまったら最後だと思ったのである。 でも助けてくれ一一と叫んでいる者もいた。陸軍の兵士達は艦の型がわからない。友軍が助けに来て呉(く)れたと思っているのであろう………。大分(だいぶ)ひろい上げられたのが見えた。それも長い間ではなかった。暫(しば)らくして、その艦はいづこともなく暗の中へ消えて行った。

私はホッとした。

アーまた助かったと思った。

でも、其の後、助け舟も見えない。情けない様にも思えた。しかし、我々がこうして泳いでいるのが敵に見つかったら、いつ何時、機銃掃射されるかわからない。

死はもとより覚悟はしていても、今ここで死んでは不甲斐(ふがい)ない。何とか助かる方法はないかと考えてみても、身は海の中、それに手の火傷が痛むのも覚えてきた。それまでは周囲の、つまり眼前の敵を気にする余り、気付かなかったのである。

早く向うの火が消えてくれることを祈った。

すると、其の時、猛烈なるスコールが降ってきた。そのために、火の海もどうやら消えたようである。辺りは真の暗闇、ただ頭上の星明りだけである。南洋の海とはいえ、我が身体(からだ)は数時間も海の中である。その上に強烈なスコールが頭上から追い討ちである。急に寒さを感じてきた。 私は手足を動かす事に一生懸命である。

ア………、このまま死んでいくのでは……と思ったりした。もう何時頃か………それも分からない。もうこうなっては、生命ある限り、時を待つより仕方がない。また何時間かが過ぎた。まだまだ気は確かである。ようし、死んでたまるか。俺は死なんぞと我を励(はげ)ました。

ふと気がつくと、遥(はる)か向うの方が明るくなってきている。ア………夜が明けたのだと思った。

私は一瞬神に祈った。長い、長い一夜であった。

明るくなった。でも、四方島影(しまかげ)すら見えない。空腹を感じてきた。しかし、どうすることもできない。只(ただ)、今は運を天にまかしているだけである。

太陽も昇ってきた。辺りに人影もない。只(ただ)自分一人で ある。この広い海原に只(ただ)自分ひとり、何と心細いことか。全く生きた人形である。日も頭上へ昇ってきている。頼りになるものは、小さな板切れ、ただ一枚、これが命の綱………いや命の板だ。

どの方向へ泳いでよいのかも分らない。

只々波の間(ま)に間(ま)に身をまかすより仕方がない。

この時又(また)も非常なる恐怖におそわれた。でもどうするすべもない。ただ運あるのみだ。つかまっている板を頼りに身をまかせるしかない。

その時、敵の偵察機らしき一機が飛んできた。私は思わず板切れの下にもぐった。しかし、身のかくれようはずがない。でもわらをもつかむ思いである。でも無事去って行った。

ふと見ると遥か水平線に小さな島影が見える。ア………島だ。濃霧にさえぎられ、はるか彼方(かなた)にほんやり浮ぶ島影、またその反対側にも島が見える。後でわかったことであるが、この島がコロンバンガラ島及(およ)びベララベラ島であった。

私は島に向って、力の限り泳ぎにかかった。丁度、この日は天気晴朗なれども波高く、南洋の海にもこの様な 大波の日があるのかと思われる程の波である。風も大分(だいぶ)強く吹いていた。私は手の火傷(やけど)の痛さも忘れ懸命に泳いだ。しかし、中々近づかない。日は早くも西海に没しようとしている。又々(またまた)夜を迎えねばならないと思った。ここは海峡で潮流が強い。また風波も反対側からである。心ばかりは、はやれども中々(なかなか)島に近づかない。

いつしか日も没し、またまた夜がきた。

無気味な敵地の海原である。

この頃ともなれば、身体は最早(もはや)、綿のように疲れ果て、自由がきかなくなっていた。ただ気力のみである。夜は何となく無気味であった。でもどうするすべもない。時は容赦(ようしゃ)なく過ぎて行く。もう何時頃か自分の感じでは(午後)10時頃かと思った。幾度か意識もうろうとなり、時折、故郷の事が、おふくろの面影(おもかげ)が瞳に浮ぶ。過ぎし日の色々な事が脳裡(のうり)をかすめる。その時、はっきりと母親の笑顔が目の前に見えた。アッ………と思わず我にかえった。全く体に力がない。目の前がぼうーとしてくる。でも死ぬる気はしなかった。気を取り戻し、ふと見ると目の前に椰子(やし)の木がかすかに見える。島だっ………勇気百倍、しかし気のみ、身体は綿のように疲れ果て、思うように動かない。丸一昼夜、食物一つ無く、海中をさまよったのだ。力のあろうはずがない。何とか何とかと思うばかり。

すると、ふと足に何かがさわったのを感じた。でも、それが何であったか、その時はわからなかった。それから数分、こんどは、ハッキリと足にさわった。特殊な感じ?  アッ………島だ………島に泳ぎ着いたのだ。いやいや流れ着いたのだと思った。でも自分は懸命に海岸に向って泳ぎつこうとしている気なのに、中々近づかない。身体が思うようにならないのだ。その時また、足に何かがさわった。今度こそと思ったが、矢張(やは)りつかまえる事ができなかった。その時、今度は手にふれるものがあった。岩だ・・・でも、また流された。残念。今度こそ、と全身の力を手先に集中した。しかし、今度は中々近づかない。

また数分間が過ぎた気がした。

この時、ふと足元にまた何かがさわった。でもつかまらない。磯波に押戻されて行くのだ。今度こそ、と思い全身に力を入れて待った。又(また)手にさわった。岩だ。今度は、必死の力で、ようやく岩にすがりついた。思わず助かった………と思った。でも、磯波は次々と打寄せては返す。必死の抵抗だ。ようやく島に足を踏みつけ立とうとしたが、皆目(かいもく)足に力がない。腰が砕けて立つことが出来ない。もう一度、必死で立ち上がろうとしたが、打寄せる波に足をさらわれ、バッタリ水中に倒れた。幾度も繰り返し、繰り返し、ようやくにして立ち上がった。いやいや、はい上がったのだ。波打際(なみうちぎわ)で、またバッタリ倒れた。それから意識を失ってしまった。何分間か……いや何時間か…… 私は、渚で意識不明だったのだ。

ふと気がついた時、誰かが自分をゆすっているのに気づいた。アッ?………意外?………土人であった。何やら言っている。勿論、言葉はわからない。ふと我にかえり見れば手に椰子(やし)の実を下げている。思わず、それに手をふれようとした。無意識のことである。でも土人は、案外やさしく、その椰子(やし)の実を素早く割って、私にくれて、何やら手で指示している様子。私は夢中で、その椰子に吸いついた。この時の味は、今も忘れられない。実に美味かった。私は両手を合わして、その土人を神の如く拝んだものだ。それから何となく、元気回復、数回にわたり、土人に頼んで椰子(やし)の実をとって貰(もら)い、4ツ程(ほど)喰ったのを覚えている。正(まさ)に地獄で仏に会った気持ちがしたとはこんな時の事を言うのかと思った。

それから元気が出て渚(なぎさ)を歩き、土人と椰子の実を取っていると、向うの方に人声がする。見れば、10人ばかり生き残った駆逐艦の兵隊達である。会って生存を喜び合ったものだ。その後、互いに励まし合って、今は食糧の事ばかり気になって探し歩いた。その頃、本当に助かったのだと実感した。

でも、手の火傷(やけど)は化膿(かのう)してみる影もない。これが自分の手かと疑う程(ほど)、変りはてている。ほとんど自由がきかない。でも先程の椰子(やし)の実で、空腹は満たされた。でも体は綿の 如(ごと)く疲れている。急に眠気(ねむけ)がしてきた。その場に釘付けされたような気持で腰を降ろすと、いつしか寝入った。

そして、思いがけぬ悪夢に晒(さら)されていた。

何かしら意識し難い夢、それは、数時間前まで意気旺盛、敵地攻略に白浪をけって突進する帝国海軍、駆逐艦『江風(かわかぜ)』の勇姿であった。今も尚、堂々と浮んでいるその姿、何と頼もしきかな。でも、長くは続かなかった。

戦友達が大勢、自分をゆり起こしていた。

誰かが言った。「此処(ここ)に居ては、食うものがない。今から食う物を探しに行く。早くしないとお前一人、残されてしまうぞ」と……。自分も立ち上がり、皆と行動した。

やがて又(また)、南方の夜がやってくる。

「おいみんな、今夜は此処(ここ)で野宿しよう」と誰かが言った。その時集まっていた兵は、陸軍兵、海軍共で200人程であった。その夜は、思い思いに椰子の木の下で野宿だ。これが敵陣でなかったら、気楽なのに、と思った……。忘れるな、此所(ここ)は最前線の敵の島である。いつ敵の襲撃を受けるか分からない。今は只、その時その瞬時を生き長らえることのできるよう計らうだけである。こんな無人島で、到底(とうてい)助かる見通しはない。幾日、生きることができるかだけである。今日も椰子の実を探してさまよい歩く。誠にあわれな日本帝国軍人達だ。つくづく、そう思った。今日は草枕で、明日はいづこか、ジャングルの中か。ただ、来る日も来る日も食を求めて危険を犯し、さまよい歩く毎日毎日………。

いつしか「1ヶ月の日が過ぎたぞ」と誰かがささやいた。実に、長い長い1ヶ月であった。その間、食を求めて、或(あ)る時は土人の住み家で、或る時は深い深いジャングルの木の枝の上で、また或る時は腰まで入いるぬかるみの中に迷い込み、西も東も分からなくなって一夜を過したり、およそ人間として想像もつかないような1ヶ月であった。でも、これから先、いつまで、この様なことが続くか分からない。

或る日の事である。陸軍の兵士達が、林の中で被服を干(ほ)していたのを敵機に見つかり、物凄い爆弾の雨を受け、5人が死んだ。目の前で息を引き取っていった。

また、或る時は、海岸の河口を泳いで渡っている最中、敵機に発見され、またも集中攻撃。川の中で十数人が死んでいった。その時の光景は一生忘れられないだろう。

こうして、また10日程(ほど)が過ぎてしまった。

或(あ)る日の事である。海岸に集まり、朝の食事時、土人の常食としているパパイヤを盗み取り、食っていた。その時、敵の魚雷艇が2隻、海岸近くを通過するのを見た。一同、スワッ………敵襲来と逸早く、ジャングルの中にかけ込んだ。みんな、あわてて食糧なんぞのさわぎではない。一目散(いちもくさん)に走り合い、ジャングルへ。その後、ジャングルの中でみんなとはづれ、行方不明となって、不帰の人となった者も沢山いたとの事であった。

来る日、来る日が不安の連続である。いつの日、人心に帰れるのか。ハタ又(また)、このまま、この島で白骨となるか。一寸先の事を誰知るや………。

また一夜が明けた。その日も南洋の太陽はようしゃなく照り付けていた。我々は小高い丘の上で一夜を明かし、 椰子の実にありついていた。

とその時である。遥か前方の海岸に20人ばかりの兵隊が歩いている。未だ敵か見分けもつかない。我々は身をかくし、じっと近づくのを見ていた。どうやら敵兵でない様だ。我々からはぐれた連中か?いや違う。銃を持っている。「アッ………日本兵だ」ひとりが叫んだ。そして10人ばかりが飛び出して行った。この様子を前方でも見たのであろう。素早く銃を構えた。でも、言葉が届く位置まで来ていたのだ。味方だ。日本海軍の陸戦隊の一小隊である。みんな、我を忘れて飛び上った。この時の喜び様は言葉に尽きない思い。早速、両者、手を握った。又々(またまた)この時も助かったという気がした。でもまだ早い。

その後、話を聞いた処では、ラバウル部隊からこの島に敵情視察のため派遣されていた横須賀の兵隊であった。実は1ヶ月の予定でこの島に派遣されたとの事。早速こちらの実情を報告し、ラバウル部隊に無電してもらう事となった。

正(まさ)に、天の助けである。我々一行は、その陸戦隊の基地、つまり(ジャングルの中の野営である)そこへ集結した。総勢200人足らず、早速(さっそく)にぎりめしを1ヶずつ配給して貰(もら)った。この時の味は忘れられない。その筈(はず)だ。40日程(ほど)、米粒1ツ喰っていないのだ。毎日毎日椰子(やし)の実ばかりで、口の周囲は油で焼け、出来物が出て、顔色も満足な色をした者がひとりも居ない。椰子の実では腹一杯喰えない。他に食糧になる様な物がない。満腹するはずがないのだ。このにぎり1ツが、正に千金の価がする感じであった。でも、只(ただ)の1ケのにぎりで満腹するはずもない。もっと欲しいと 思っても仕方がない。命だけは、当分つなぐことができた。

早速、ラバウルの本隊へ打電してもらった。でも、大型船では航行できないとのこと。上陸用ダイハツが4隻、出発するとの返電があったとのことである。一行は喜びに沸いた。でも、片道10時間余りもかかるとのことである。

その日は、陸戦隊と別れて、野宿することとなった。

時々、敵機が飛来するも、我々の居ることを知らないのか去って行く。日もとっくに暮れた。いつしか、夢ウツツ。疲れ果てた体を休めた。ア………今日も無事だったと一人、口の中でつぶやいた。その内に我を忘れ寝入ってしまった。

夜が明けた。暗いうちに用意したのか、我々の知らぬ間に、又にぎりめしができていた。早速、配ってもらった。今日も1日、このにぎりで命をつなぐのだと思うと何だか心細い気がした。でも仕方がない。まだ助け舟は来ない。待つ身のつらさ。時はいたずらに過ぎていく。又(また)椰子の実をとりに歩き廻った。助けの舟はまだ来ない。そのうちに陽は西に没しようとしている。やがて夕暗がせまって来る。今日も帰れない。そうした日が次々と過ぎた。

迎えの船を出しているとの返電はあるのだが、中々来ない。問い返したら、途中で敵に見つかりやられていた事がわかった。第二の助け舟を出しているとの事。でもそれは早くても明日になるとか、誠に情けない返事である。人の気も 知らないでと思わず愚痴(ぐち)をこぼした。でも助け船も命がけである。すでに何人かの生命が失われている。申し訳ないことだ。またまた今日も過ぎた。派遣隊の食糧も無くなって来たと言う。もう、にぎりめしも貰(もら)えなくなった。

そうこうするうちに、5日間が過ぎ去った。と、その日の夕方である。助け船が来たという知らせだ。やっとの事でたどり着いたという。一行は乗船の準備をした。でも、夜でないと乗船できないとのこと。敵に発見されたら全員 最後である。夜半を待ってみなが海岸に出た。でも、船が見えない。そのはず、船は遥か向うの方にある。海が遠浅で近づけない様だ。船まで100米(メートル)以上もあった。泳いで行かねばいけない。「みんなそのまま泳いで行け」と誰かが言った。自分は泳ぐことは大丈夫だが、手が火傷(やけど)のため、思うように動かない。でも泳がぬわけにもいかぬ。手の痛さをこらえ海へ入って行った。元気なやつは早(はや)乗り込んでいる。助け船は2隻である。それぞれ分乗する。自分も途中、何回か沈みかけ、沈みかけ、ようやく泳ぎついた。最後の方であった。

全員、乗り込んだ。艇長が言った。途中は敵が一杯。見つかったら最後である。覚悟して欲しいと……。一難去って、また一難だ! 行ける所まで行くより仕方がない。船は軽いエンジンの音を立て動き出した。この時、海軍の乾パンが 3枚ずつ配られた。この乾パンのおいしい事。そして、何十日振りかでタバコも配給された。実に、おいしかった。そうして敵の目をかすめ、無事ラバウルへ到着することができた。矢(や)張(はり)、敵地途中は生きた心地もしなかったが、どうやら無事助かった様だ。全員、喜んだものだった。

私はすぐに病院へ行った。そして応急処置をしてもらい、その後もすぐ駆逐艦に乗込んだ。この艦はトラック島へ 帰るとの事。もう此処(ラバウル)まで帰って来たら内地に帰った様な気がした。艦はその夜ラバウル港を後にした。翌日夕方、トラック島へ入港した。そこで退艦し、今度は輸送船「東京丸」に便乗し、即日同港出港、約4日間航海、懐かしい内地、千葉の館山港へ無事入港した。

何ヶ月目か、内地を見るのは・・・。

その後、横須賀海兵団へ送られ、衣服・靴等をもらい、早速、佐世保の兵隊は汽車に乗って佐世保へと向かう。 この車中で初めて気がついたのは、誰の顔を見ても、黒く皮がむけて丸で土人のようだった。でもみんな元気。初めて笑い声が聞こえてきた。何十日かの生死を共に生き抜いてきた敗残兵のせつない笑顔であった。あの戦友は、あの時死んだのだと………思えば一瞬笑顔も消えて、過ぎし あの時、あの頃を思い浮かべて、一人車窓から映り変る外の景色にボンヤリ見とれていた。いつどこで死んだのか。田畑班長の姿は、とうとう見えなかった。多くの戦友よ、安らかに、と祈らずにはいられない。ア………戦友よ、『江風(かわかぜ)』よ。今も南方では多くの戦友達が戦っているのだ。只、武運(ぶうん)長久(ちょうきゅう)を祈りつつ、いつしか佐世保へ戻っていた。時に、昭和18年10月中頃だったと思う。終

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